インテリアコーディネーター試験問題解説29

   
              インテリアコーデイネーター試験問題今回は住宅の歴史についてです。
        東京の原宿に、ついこの間まで同潤会のアパートがありました。
               風情があって緑と調和し、雰囲気のある建物でした。これに代わる新しい
          建物が今、安藤忠雄さんによって設計され、建築中です。
                
                 
         

住宅の歴史に関する問題です。次の1〜5の記述のうち、
不適当なものを2つ選びましょう。

、関東大震災を機に設立された同潤会は,新しい住宅形式として
  『アパートメント・ハウス』を建設した。
、都市の中流住宅として普及した『中廊下住宅』は,家族の私室の
  分化を特徴とした。
、大正末期に現れた初期の和洋折衷住宅は、外観や応接間など、
  生活に直接関らない部分に、洋風を取り入れたものが多かった。
、西山夘三は,庶民住宅を秩序ある居住空間とするため、『食寝分離
  論』を提唱した。
、日本住宅公団(現:都市整備公団)発足当初の昭和30年代初め、住
  戸の標準設計は『2LDK』であった。

【答え】  
   2. 5

解説】 

同潤会とは関東大震災(大正12年、1923年9月1日)後の復興のために
仮住宅等を建設した。その後、中層アパート(RC造)の建設、設計の標準化
などの新しい試みを実施した。住宅市場にとって画期的であった。
東京の原宿に、当時の建物があったが古く、安全とはいえないため、現在
安藤忠雄さんの設計による新しい建物が計画され、建築中。

中廊下住宅 とは明治末年から大正時代に現れた。その後の日本の都市
住宅の平面構成のモデルとして普及した。家族と使用人の生活は分離されて
いたが、間仕切りが障子や襖であるのと、家族の個室は無く、家族個人間の
プライバシーは守られていなかった。

和洋折衷住宅とは和風の住宅に洋風の応接間や主人の書斎をつけ、和洋を
折衷した住宅。大正時代に建てられた文化住宅。

食寝分離論とは食事する空間と寝室とを別にすること。一室で食事と就寝の
両方に使われることは不便で保険上、精神衛生上も問題であった。昭和17年
(1942年)西山夘三がこの問題を指摘した。住宅の質的な水準向上のためにで
あった。

2LDKとは住戸の規模や形式。戦後の日本住宅公団の標準設計の過半数を
占めていたのは『2DK』で、DK室が南向きに配置され、食事の運搬が楽に
なったタイプ。
2LDKタイプはその後に登場したタイプである。居間とダイニングキッチンが
一室にまとめられているもの。