森下泰輔個展『デ・アブジェクション―バルコニーの内側で』
2003年11月19日(水)―12月27日(土)13:00−19:00
(初日15:00から 日祝休廊 最終日17:00)
ギャラリー・パラ・グローブ Gallery Para GLOBE(東高円寺)
東京都杉並区和田3-54-5 B1 03-3315-6950
ディレクター 伊丹裕
問い合わせ
マックル 〒104-0064中央区銀座8-16-10 B601 03-3542-4856
『デ・アブジェクション― バルコニーの内側で』に関しての覚え書き
西洋美術は一貫して作品を通して象徴の確立につとめてきました。女性像は「官能」「美」といった象徴を形成し芸術の主要テーマとなりました。しかしながら、アメリカの美術評論家グリゼルダ・ポロックも指摘しているように、こうした女性美は男権的な抑圧構造のうえに成立しています。西洋絵画の巨匠たちが描き出した女性像もまた、男性の特権的な視線で満ちています。
ポロックは評論集『視線と差異』のなかで、西洋の男性画家たちがいかに女性美を本来の女性性と離れて用いていたかを暴露していますが、それを説明するのに「バルコニーの内外」といった考え方を導入しています。すなわち、「男性の領域=バー、カフェ、安ホテル、娼窟。女性の領域=応接間、夫婦のベッドルーム、ベランダ、プライベートガーデン、育児、家事などの家庭生活の場・居間、浴室、子供部屋、公園」といった区分けです。それを還元的に「バルコニーの内外」で分けているのです。
さらに、ポロックは実際に、モリゾ、カサットといった女流画家がバルコニーの内側を描き、マネ、ドガ、ロートレックらはバルコニーの外側を描いた事実から西洋美術がいかに男権的視線に彩られていたかに言及しています。
今回は、このことをベースにバルコニーによる閉域を画廊内に作り、男女の潜在構造を浮かび上がらせます。
加えて、若桑みどり女史がポロックの理論から導いた、明治期以後の浅井忠らに始まる日本の洋画家は、西洋とは異なり、むしろ女性の領域をモチーフにしてきたという見解からこのバルコニー内の閉域は日本でもある、と考えます。
これらのことをジュリア・クリステヴァの「アブジェクシオン(英アブジェクション)」と重ね合わせて考えますと、アブジェクトすべき、つまり唾棄すべき「女性原理=母性原理」はバルコニーの内側という閉域で男権によって飼い馴らされ、外側ではセックスの対象として抑圧されていたことが見えてきます。クリステヴァはラカンの研究から「アブジェクシオン(アブジェクション)」の考え方に至りますが、ラカンの有名な鏡像段階、すなわち幼児は他者a’(母性原理=現実界)を介して自我aを形成するが、同時に他者A(父性原理=象徴界)からの抑圧を受け「去勢」される、といった考えを基本にしました。先のバルコニーの内外はこの現実界と象徴界を分断する境界でもあるでしょう。画廊内ではバルコニーの内側の小さな家の中心に透明な髑髏が設置されますが、これは謎の「対象a」でもあります。私はこの「対象a」こそが象徴界の裂け目からやってくる絶対の無=死だと考えています。これは自然=母性原理の側に位置すると考えられます。
現在の象徴界=男性の領域はグローバリズム化、高度資本主義化が急激に進んで、むしろコンピュータ的なデジタル概念に支配されています。そのシンボルとして私が使用するのはバーコードです。つまり男権的芸術は女性性を抑圧する視線を内包すると同時に、バーコード的なるものに隷属しているのです。
こうした考え方の全体は、ジェンダーの問題はもちろんポストコロニアリズム、文化多元主義といった潮流と重複しています。私は今回のインスタレーションで中心と周縁の関係を逆転してみました。実際はバルコニーの内側こそが周縁であり、外側こそが中心なのです。こうしたことをインスタレーションの文脈に落とし込み、何が見えてくるかを探るのが今回の展示となります。
森下 泰輔