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1977年3月アメリカ・ニュージャージーにてMISFITSは結成される。当時はグレン・ダンジグ(vo、piano)、ジェリー・オンリー(b)、マニー(ds)というギターレスの3人編成だった。バンド名の由来はマリリン・モンローの最後の映画タイトル「MISFITS」。
同年「BLANK」レコードからデビューシングル「COUGH COOL」(b/w 「SHE」)をリリース。その後も続々、グレンが作ったレーベル「PLAN 9」から、計9枚のシングルをリリースすることになる。 '78年には新ドラマーとギタリストを迎えて4人編成となり幻のデビューアルバム「STATIC AGE」を録音。(しかし発表に至らず、'96年リリースのボックスセットまで日の目を見ることがなかった。97年6月には単体でCD化される。)この頃、彼等の熱心なファンによって「FIEND CLUB」というファンクラブが生まれ、現在に至るまでMISFITSを支え続けている。 '79年には彼等のシンボルとなる骸骨マーク「Crimson Ghost」や、前髪を真ん中に固めて垂らすヘアスタイル「Devilock」が登場、現在のアイデンティティが確立された。 数々のメンバー・チェンジを繰り返しながら'80年、ジェリーの弟・ドイル(当時16歳)がギタリストに迎えられ、グレン、ジェリー、ドイルという黄金ラインナップとなる。 '82年に記念すべき1stフル・アルバム「WALK AMOUNG US」をカリフォルニアの大手インディーレーベル「RUBY/SLASH」からリリース。「EVILIVE」(7インチ)は「PLAN 9」からリリース。ドラマーに元BLACK FLAGのロボを迎え、'83年12月には2ndアルバム「EARTH A.D./WOLF'S BLOOD」を、やはり「PLAN 9」から発表、しかしこの頃にはバンド間の不協和音が最高値に達し同年秋のハロウィン・ライヴを最後に解散した。 しかし84年には12インチシングル「DIE DIE MY DARLING」を「PLAN 9」から、85年には初期の音源をリマスタリングしたフルアルバム「LEGACY OF BRUTALITY」も「PLAN 9」から、80年代後半には編集盤、再発盤などが「キャロライン」からリリースされた他、METALLICAやGUNS 'N' ROSES等がMISFITSのカヴァーを行うなど、彼等の人気は衰えるどころか上がる一方だった。 グレンはそんな中自己のバンド「SAMHAIN」を経て「DANZIG」で独自の地位を築いて行く。 一方ジェリー&ドイルは90年に「KRYST THE CONQUEROR」を新たに結成、自分達のレーベル「CYCLOPIAN MUSIC」から「DELIVER US FROM EVIL」をリリース。これはMISIFTSという名の権利をグレンと「キャロライン」が無断で持っていってしまった為で、グレン対ジェリー&ドイルの約10年間の裁判沙汰の末ジェリー&ドイルが勝訴。 '94年にはジェリー&ドイルはMISFITS再結成に向けて動き出す。新ドラマーには早々に「DR. CHUD」(チャド)が内定していた。当初ボーカリストとして、ジェリーはグレンにも声をかけているが、グレンは同意せず、他にダムドのデイヴ・ヴァニアンにも白羽の矢を立てるが、こちらも実現せず。 結果、新ヴォーカリスト「MICHALE GRAVES」を迎えて再結成を果たし、ゲフィン・レコードと契約。 '95年11月にはグレンによる編集盤「COLLECTION II」が、96年には前述のCD4枚組の棺桶型ボックス・セットが、共に「キャロライン」からリリースされる。(ボックスセットにはグレンは関与せず) 96年末には「HELL ON EARTH...HAIL TO MISFITS」、97年に入ると「VIOLENT WORLD」というMISFITSへのトリビュート盤2枚がリリースされる。(97年はMISFITS結成20周年!) そしてついに97年3月に3rdアルバム「AMERICAN PSYCHO」を発売、11月には初来日も果たした。 (98年5月のヨーロッパツアー前にMICHALEが脱退!3ヶ月間、MIKE HIDEMOUSが代役に。しかしその後MICHALEが復帰、現在に至る。)98年8月にはFIEND CLUB限定の「EVILIVE2」(CDのみ)がリリースされる。その後「ロードランナー」に移籍、1999年8/7には富士急ハイランドのフェスティヴァル「ビューティフル・モンスターズ・ツアー」に参加した。 その直後1999年9/5、日本先行発売で、4th「FAMOUS MONSTERS」をリリース。(前作同様、後期ラモーンズのアルバム制作に携わったダニエル・レイがプロデュース) 2000年初頭の来日も記憶に新しいところである。 |